第137号の5
◇◆本堂清掃のお願い
6月1日(土)午前9時半から行います。当番は3番です。よろしくお願いいたします。
◆◇第43回 真宗公開講座 のご案内
6月8日(土)13時開場 14時開演 農業屋コミュニティセンター(松阪市)
講師:石川県野々市市(ののいちし) 真宗大谷派常讃寺 住職 藤場 俊基 氏
講題: 南無阿弥陀仏 「人と生まれたことの意味をたずねていこう」
◇◆音楽法要の練習のお知らせ
音楽法要の練習は、6月11日(火)午後1時 30分からです。報恩講らしい讃歌を一緒に歌いましょう。楽しいひと時をご一緒に過ごしましょう。多くの方のご参加をお待ちしております。
◆◇婦人講法要のお知らせ
日 時: 6月23日(日) 9時00分から受付 講 師: 荒山 信 師
茶菓の準備の都合上、参加される方は6月14日(金)までに、組の小寄り(婦人講役員)さんに申し込みをお願いします。お手数ですが小寄りさんは、組の寺役さんにまとめてお伝えください。寺役さんはお世話をおかけしますが、会計総代の奥野洋一さんまでご報告ください。
※ 荒山先生からのメッセージ ※
今日、私たちの多くが何らかの不安を感じざるを得ないような時代状況です。しかし、不安を解消するのでもなく、逃げるのでもなく、不安に立ち、不安を生きていける道を親鸞聖人に尋ねていきたいと思います。
◇◆耳を澄ます~亡き人の声なき声に~
法事は、大切な亡き方のことを想い、故人からの声なき声に耳を傾けることで、亡き人の願いを相続していくことになります。勿論、亡くなった人がものを言うはずはありません。しかし、声は発していないけれど、体全体で私たちに、語っていきました。葬儀とは、亡くなった方の安らかな眠りのためのものではなく、亡くなった方が、自らの身をもって「人は必ずいのちを終えていく」ということを教え「やがて死んでいくいのちをどう生きていくのか」という問いを投げかけていく場です。そのような声なき声を聞き続けていく中に、たとえ死に別れた人とでも再び会える世界があると受け止めさせていただいています。
◆◇2024年度お盆参りの日程について
今年のお盆参りは初盆のお参りは8月7日(水)、ご門徒家庭の先祖供養のお盆参りは8月8日(木)から14日(水)までの日程を当てています。山の日を含む連休があるためです。ご家庭の都合もおありかと思います。ご家族さまとご相談ください。できる限り調整させていただきたいと思います。
◇◆二河白道、、、昨年の慶讃法要団体参拝のときの法話より
ある旅人が、無人の荒野を西に向かって進んでいくと、その道が火と水の二つの河に挟まれました。後ろからは群賊、野獣が襲ってきます。行くも還るも止まるも死を逃れえません。しかし、思い切って白道を進んでいこうと思った時、東の岸から「この道をたずねて行け」と勧める声が聞こえます。また、西の岸から「こちらをめがけて進みなさい」と呼ぶ声がしました。旅人は一心に疑いなく進むと西岸に到着し、仏となりました。
火河は、私たちの怒り、腹立ちです。水河は、尽きない欲望です。東の岸には迷いの娑婆世界、西の岸には極楽世界をたとえています。そして、白道は浄土往生を願う世界です。
阿弥陀さまがおいでの西の岸に向かって白い道を歩くのが、私たちの人生です。
仏教の教えは、それをいただいたからといって、世の中が輝くものではありません。あなた自身が輝く存在なのだといただく教えです。誰かと変わることの、変えることのできないあなただからこそ、その命は輝いているのです。
親鸞の ゆさぶる言葉
いし・かわら
つぶてのごとく われらなる
「唯信鈔文意」より
いし・かわら・つぶてのように、踏まれてもけられても見向きもされない人々を、親鸞聖人は「われら」と呼び親しまれました。そして、共に生きようと呼びかけています。
ここには、大きな差別の現実とはまったく違う親鸞聖人の姿があります。親鸞聖人は厳しい差別の現実に分け入り「われら」と微笑みかけています。
厳しい現実の中を親鸞聖人を熱く敬いながら生きぬいたひとびとがいました。今回の言葉は、人びとがよく語られていた親鸞聖人の言葉です。
テーマ通りではないですが、つらい時や悲しい時に「自分は何のために生まれてきたんだろう」と考えるものです。その答えは簡単に見つかるものではありませんので、どこかで折り合いをつけてきたのが私たちではないでしょうか。
「出会えるかは分からないが、求めなくては出会ってもすれ違いになる」ということを教えられてきました。真宗門徒は求道者です。人を訪ね、人に尋ね、そうして語り合う門徒の姿をこの言葉で表しているのかもしれません。
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