第137号の3

明日(あす)ありと 思う心(こころ)の仇(あだ)桜(ざくら) 
夜半(よわ)に嵐(あらし)の 吹かぬものかは

親鸞聖人 九歳   得度前の句

 聖人は、自分の命を桜の花に喩え、「美しく咲いている桜を明日も見ようと思っていても、夜中に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。この身も同じようにいつ散るか分からない。だから今を精一杯生きたい。」という思いが込められた句です。

◆◇ 維持費納入のお礼  

教樂寺維持費の前期分を納入していただきまして、ありがとうございました。

◇◆ 婦人講からのお知らせ

音楽法要は、4月9日(火)が1回目の開催日です。肌寒い日もありますが、讃歌を中心として耳に聞き覚えのある歌や、懐かしい歌を多く歌っていきたいと思っています。春を楽しめる歌をたくさん歌いたいと思います。多くの方のご参加をお待ちしています。初心者、大歓迎です♪

◆◇ 本堂清掃のお願い

4月の本堂清掃は4月6日(土)午前9時30分から行います。当番は1-2組です。花の便りも届けられ、ご予定の多いときと思いますが、よろしくお願いいたします。

◆ 2月の「松風の集い」より

  2月27日(火)に、伊東恵深先生をお迎えして「松風の集い 正信偈にきく」の講座を持たせていただきました。婦人講の役員の皆さま方も熱心にご拝聴くださいました。これからも、実りの多い講座になることを念じています

本年度の団体参拝を秋に実施できるように計画をしています。岡崎別院方面への参拝を考えております。秋の好季節に、皆さまとの思いで深い時間を作ることができることを願っております。

◆◇ 遠藤太久郎先生のお話から  「あの世とこの世の間に、その世がある」

  「迎えは何時来るのか」と問われるたびに、複数の考えが頭を横切ります。まだ、この世で忙しい頭の方は、こうは問いません。誰しも経験の無いあの世を思う余裕の有る無しで随分違います。飲み食いのできる方は、迎えの時期が予測ができないことを話題にしないと間が持たないと思われるのでしょうか、体の衰弱が進み、苦痛もある方には切迫を和らげる方策を考えます。心も痛むのには、時を待てません。どちらの方も生きて来た道を個人として聞き取り、お互い気持ちを届いたときに「その世」が開くようです。朝陽の昇ときもその世です。 

☆ちょこっと豆知識

 今NHKでは大河ドラマ「光る君へ」が放送されています。その主人公である紫式部の著作である『源氏物語』の中に「横川(よかわ)の僧都(そうず)」という人物が登場します。この人にはモデルが、「正信偈」にも登場する「源信」です。教えの一文のようですが、人の名前なのです。登場するか分かりませんが、要チェックですね!

今月の法語

迷惑かけたくないと言うけれど、
私の人生はただ迷惑かけて終えていくものなのか。
親や墓があるから帰る場所がある。

花山 孝介

先日の特伝の中で「墓じまい」ということに関連して講師の花山さんからこのような言葉をいただきました。

祇園の季節になると村松町内では「おかえり」と書かれたのぼりが立てられます。「おかえり」とは、帰る場所があるから言える言葉なのでしょう。

さて、どちらかというと迎える側になることの多い村松町内にいると、帰る場所があるということは意識しないかもしれません。ですが、例えば旅行から帰ったときなどは、「やっぱり家が一番」なんてこともあるのではないでしょうか。帰る場所があるから、出かけることもできるのかもしれません。

私たちが帰ってきた場所を大切にすることは、迷惑なことだったのでしょうか?そのことを花山さんから問いかけられているのではないでしょうか。先立つ親や祖父母を私たちが送ることは、迷惑なことなのでしょうか。

また、お話の中で、

「悲しきかな、人間は死ぬまで自分の眼で自分の姿は見れない」

という言葉を紹介してくださいました。鏡で見ていても、自分の眼で自分の姿(ふるまいやあり方)は見えないことの気づきの感動を語られているのでしょう。仏教は私を知る学び(内道)であるということから、私の人生はただ迷惑をかけて終えていくのか確かめよとの呼びかけかもしれません。

人間ですから迷惑はかけて当然ですが、それとは他に残されたものがあるから、帰る場所があるのかもしれないと思った講義でした。

門徒だより編集委員会 2024. 3.20

  1. 維持費納入のお礼
  2. 婦人講からのお知らせ
  3. 本堂清掃のお願い
  4. 2月の「松風の集い」より
  5. 遠藤先生の言葉より
  6. ちょこっと、豆知識
  7. 今月の法語